野菜つくりの昭和史

熊沢三郎のまいた種子

4,730 (税込)

日中戦争当時に「支那の野菜」という本を淡々と書き綴り、農林省園芸試験場の研究者として台湾・中国の農場で野菜作りに励み、戦後の食糧不足にも取り組んだ熊沢三郎の業績と人となりをまとめた。農業が多くの困難に直面している今、学ぶことの多い本。

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判型 A5判
ページ数
発行日 1994/04/25
ISBN-13 978-4-8425-9411-8 C3061
ISBN-10 4-8425-9411-x
JAN 1923061043009
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目次

序章 いまなぜ熊澤三郎か

第一章 園芸のメッカ興津

一、興津
二、見習生
三、園芸試験場独立
四、野菜研究
五、幻の新規採用

第二章 新進研究者登場

一、地方農林技師ニ任ス
二、大阪農試園芸品種改良部
三、大阪で出会った人びと
四、キュウリF1第一号を創る
五、育種の基礎研究
六、高橋是清から貰った背広

第三章 台湾にまいた種子

一、台北州農事試験場蔬菜部
二、壮大な品種試験
三、調査研究とその成果

(一)「台湾、南支を中心とせる蔬菜の研究」
(二)野菜経営様式の分化

四、衣鉢を継ぐ
五、一九九一 台北

第四章 遺伝資源を求めて

一、熊澤「植物探索論」
二、ヴァヴィロフに感激
三、魅せられた「大地」
四、報告書「支那の蔬菜」
五、品種導入の成果

第五章 戦場でつくる野菜

一、台湾農業義勇団
二、上海郊外の野菜つくり
三、中支那農業調査団
四、篠原捨喜団員の手記

(一)武昌農場の経緯
(二)中国野菜の調査

五、南方諸島の現地自活

第六章 戦時下の野菜つくり

一、農務局特産課
二、初めての野菜予算
三、ムギと野菜の面積取り合い
四、戦時下のベストセラー
五、カボチャの歌
六、ミカン・ブドウを守る
七、英霊に捧げる花

第七章 種苗を行政に乗せる

一、回想・種苗行政
二、種苗業の発達と種苗問題
三、種苗統制要綱
四、蔬菜種苗等統制規則
五、「農産種苗法」に生かす

第八章 品種研究の原点二宮

一、種苗育成地の設置
二、戦時下の二宮
三、終戦・集まった研究者たち
四、二宮のくらし

第九章 品種研究・久留米

一、園芸試験場九州支場
二、建設
三、とらわれない研究体制
四、ある決意
五、耕心之碑
六、乳牛を飼う
七、酒
八、原種育成会
九、一九九二 久留米支場

第十章 新分野を拓く

一、不朽の名著

(一)『綜合蔬菜園芸総論』
(二)『綜合蔬菜園芸各論』

二、品種生態理念の確立
三、品種研究の成果
四、「作型」の提唱
五、花の研究開花

第十一章 キュウリ四葉(すうよう)とその子や孫たち

一、キュウリの戸籍簿
二、三たびのめぐり合い
三、夏節成の誕生
四、四葉の孫たち
五、世界を駆ける

第十二章 「地域農業の確立」をめざして

一、野菜研究に訣別
二、岐路に立つ
三、長崎県総合農林センター
四、「長崎県農業の地域分析」
五、農協「営農団地」の推進

第十三章 歴史とロマンの花木を活かす

一、平戸の風土と歴史
二、平戸ツツジとの出合い
三、再び平戸ツツジと
四、ハルサザンカ四百年のロマン
五、病床の研究会
六、ツツジ・ツバキを世に出すために

第十四章 生いたち・終焉

一、西海鯨捕りの系譜
二、長崎県立中学猶興館
三、第五高等学校理科乙類
四、東京帝大農学部育種学講座
五、終焉

終章 見果てぬ夢

一、農業技術者の道
二、見果てぬ夢

熊澤三郎著作目録

参考文献

あとがき

説明

熊澤三郎は野菜作りの昭和史を語らせるにふさわしい人物である。

本書は熊澤三郎の農業技術者としての生き方にも焦点をあてた。彼は研究者であっても、大学や民間とは異なる、農林省の農業技術者であることの意識は厳しいものがあった。常に「農家の役に立つもの」といっていた。また、「農業研究者はホワイトカラーでなく、ブルーカラーだ」といって、作業衣に地下足袋で圃場にでていた。

「農家の人が来ない試験場はつまらない」ともいって、いつも農家の来訪には喜んで応じていた。また、そこから熊澤が学んだことは少なくはない。彼が理論化したものは、普通農家がやっていることから拾い上げ、実証し体系化したものが多い。

この種の記録は農業関係者、とくに技術者の場合、他の分野に比較して少ない。農林省や都道府県の農業技術者は、どのように独力し、業績をあげたとしても、それは職務上当然のつとめとして考えられているためであろうか。しかし、組織であっても、そこは技術者の集りであって、そのなかの一人ひとりがどのような考えをもって行動するかといったことは重要である。また、管理する立場になれば、それなりのリーダーシップが必要になろう。

いま、わが国農業は多くの困難に直面し、間もなく新しい世紀を迎えることと相まって、各分野でそのための方向と対策が求められている。一方、この時代に対応する「農業技術者の在り方」も問われている。このとき、終生農業技術者として、昭和の野菜作の幾多の困難な局面に、的確に対処し、発展に尽してきた熊澤三郎に学ぶことは多いと考えられる。

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