説明
二固体が互いに摩擦し合うとき、摩耗粉あるいは摩耗粒子と呼ばれる粉末の脱落をともない、すり減ってゆく現象は、工業機器や生産活動の場のみならず、日常生活の上でも広くみられるものである。この現象自体はおそらく有史以前から人に知られていたに違いない。永い文明の歴史の中で、人々はこの摩耗と呼ばれる表面損傷に困惑し、その対策に苦慮してきた。その基本機構がいまだに確実には解っていない、というと、あるいは不思議に思われるかもしれないが、とにかく今にちまで頼りにすべき原理を持たずに、摩耗に対処してきたのである。しかし現代の産業製品にとって、その耐久性は死命を左右する大きな問題である。複雑化した文明社会において、摩耗は単にその製品の耐久性を支配するだけでなく、それを取り巻く諸問題の鍵となるからである。
現在の学術分類では、摩耗は機械工学の中に分類されるのが普通である。それは摩耗が問題とされる対象がおもに機械であるためである。しかし、摩耗に関係する条件因子は必ずしも従来の機械的なものばかりではない。化学とか金属とか物性とかに入れられている問題が大きく摩耗を支配する。つまり、摩耗は、ある工学分野の学術体系の一部として取り扱うのは適当ではない。まず摩耗と呼ばれる自然現象の観察から始めなければならない。 このようなわけで、本書はなるべく単純な条件において生じる摩耗現象の記述から入り、二固体が接触してから摩耗粒子が脱落するまでを、一貫した筋で説明することを心がけた。従来の摩耗の説明ではある段階の過程を述べるにとどまり、最初から最後までを理解するのに戸惑うことが多いからである。用いた摩擦材料も多くの場合、元素単体で、無潤滑を主とした。潤滑油を用いる場合もその多くは直鎖炭化水素などの化学的に素性の知れたものにした。摩耗試験の多くはピン・オン・ディスク型で、異なる素材組合せでもその結果を相互に比較できるよう心掛けた。その意味では、本書に取り上げたところは、いわゆる実用試験から遠いように見られるかも知れない。しかし、とかく複雑だといわれる摩耗現象の基本的理解のためには、このような姿勢が不可欠だ、と思うのである。
筆者が故・曽田範宗先生の下で摩耗の研究に取り組んでから、半世紀の歳月が流れた。そのうちに君と一緒に摩耗の本を書こう、といわれたが、それもままならなかった。漸く首尾を通して摩耗を語れる、と思えるようになったのは、先生の亡くなって8年後の2003年のことである。そんな径路を経て、機械の研究誌に2005~2006年にわたり、「摩耗」と題する連載講座を執筆することが出来た。それを整理、縮小してまとめたのが本書である。世に摩擦摩耗あるいはトライボロジーに関する成書は少なくないが、その中で摩耗を正面からとりあげたものは殆どない。その意味で、ここに漸く先生への報告書が出来た、と自ら慰めている。
本書に収録したデータの大半は永年にわたる筆者の研究室で得たものである。それは議論の展開に際し、確信をもって言うには、やはり自らの実験が頼りになるからである。そのため引用文献に自著のものが多くなったのは止むを得ない。(序文より抜粋)
レビュー
レビューはまだありません。