造園史論集
 
 
 
白幡洋三郎・尼崎博正共編
 
 

■定価 4,935円 (本体価格 4,700円)
■B5判 180頁
■送料 340円
■発行年月  2006.11
■ISBN 4-8425-0389-0

 
 
■概略
 本書の企画は、1994年に岡崎文彬先生の米寿の記念論文集として出版される予定でありました。残念ながら先生は突然の入院となり逝去なされましたが、論文の方はご完成されており先生の遺稿を含め日本の造園史関係の研究者が論述の傑作で、国内外を問わず古代から現代の庭園と造園そして公園の造園史の珠玉論文集である。  
 
■解説

1994年のはじめ中村 一京大名誉教授から私の米寿を祝って、造園史関係の論文集を出版してはとの話があり、私は喜んで申し出を受けることにした。その時私が書いてみようと思ったのは、ハプスブルクの造園文化史である。
  ブルボン王朝に比べると、ハプスブルク家を対象とした私の造園研究は浅い。近年ブームと言ってもよいほど、ハプスブルクについての情報が多くなってきているとはいえ、造園・造景に言及したものは、ほとんど見いだせないのである。
  長期間、私はオーストリア・ドイツに限らず、ハプスブルク家に関わりの深い国々を訪問し調査も行ったが、成果が不十分なことは誰よりも私自身がよく承知している。
  異国の庭園文化を研究するにあたっては、幾つかのハードルを越えなければならない。例えば疑問が起きたとき、その都度現地を訪れるのが現実には困難なこと、必要な文献が手元はもとより我が国の図書館にわずかしかないことが、特に高いハードルである。
  及ばずながら挑戦しようと決意して間もなく、5か月もの入院生活を余儀無くされ、執筆は不可能かと諦めの心境だったが、退院後ふたたび執筆してみたい気持ちになった。ただ、健康上の磋趺、紙幅のほか、終章で披露するように、シェーンブルン宮苑が典型的フランス式庭園との定説に疑念が生じてきている最近の私である。そのため、ハプスブルクゆかりの造園の跡をくまなく詮索することは断念し、的を同家のシンボルとも言うべきシェーンブルン宮苑に絞ることにした。
  年間800万人が訪れるシェーンブルンである。宮殿・宮苑関係の図書・論文の類だけでも数え切れないほどの多数にのぼる。そのうち、私がこれまで主な拠り所として来たのは、アマルテア社が1922年に刊行したクローンフェルト著の『シェーンブルンの林苑と庭園』である。ところが、その書は、ヴォー・ル・ヴィコントについてのコルディの著述や、ムスカウの園池に焦点をあてたヘルマン・フォン・ピュックラー侯爵の著書『造園指針』のような決定版ではない。
  おのずから、シェーンブルン宮苑について詳述するには、往年のモノグラフィーのほか第二次世界大戦後に上梓された宮苑関係の著書・論文にも目を通さなければならない。現時点では、それも私にとって不可能にちかい。したがって原稿を書き終えた時点でホッとする満足感の味わえない私ながら、今回の論文が既刊の我が国の造園史書よりも一歩踏み込んだシェーンブルン宮苑の紹介になったことは間違いないと自負している。
  平面図・版画等の転載については、オーストリア政府観光局の指示にしたがい、シェーンブルンのオフィスを通じて出版社の許可をとりつけた。両事務所ならびに出版社に謝意を表する。また、1934年から1993年まで、10回にわたり私が撮影した掲載写真には年次を付記していない。第二次世界大戦中の惨事を目にしていない私にとって、60年の経過を感じさせないほどシェーンブルン宮苑の心象風景は不変だからである。
  あとまわしになったが、本書のために執筆された諸氏の論文は、いずれも高邁な理念に基づいた粒ぞろいの傑作である。中村一氏をはじめ、多忙中素晴らしい論文をお寄せ下さった皆様に厚くお礼申し上げたい。

1994年佳日
京都下鴨にて筆者しるす

[注記]
  この「まえがき」と題された文章は故・岡崎文彬氏が残されたものである。本書編集の企画が生まれた端緒が書かれており、手を加えずにこのまま読者に提示するのがよいと考えた。その後ようやくこのような形で出版できるようになった経緯については、巻末の「編集後記」に一端を記した。
(「まえがき」を掲載)


 
 
■要目
[主要目次]

1. 古代の園池と流れ
はじめに
7世紀以前(草創期)
7世紀の園池と流れ(展開期)[1. 小墾田宮推定地:2. 島庄遺跡:3. 石神遺跡:4. 坂田寺跡、雷丘東方遺跡、平田キタガワ遺跡:5. 飛鳥京跡苑池遺構:6. 小結]
8世紀の園池と流れ(成立期)[1. 平城宮東院:2. 平城宮─西池宮─:3. 平城京左京一条三坊十五・十六坪:4. 平城京左京三条二坊六坪:5. 平城京左京三条一坊十四坪:6. 小結]
8世紀以降の流れ[1. 神泉苑:2. 大覚寺:3. 南都一乗院:4. 平安京左京四条三坊九町遺跡:5. 鳥羽離宮跡:6. 毛越寺:7. 栢杜遺跡:8. 永福寺跡:9. 御所之内遺跡(伝堀越御所跡):10. 一乗谷朝倉氏遺跡(池・遣水併用型):11. 伊江殿内庭園(巣雲園)(カスケード型):12. 小結:結語]

2. 庭石にみる江戸時代初期の素材と表現
序 庭石の不易と流行
桂離宮庭園の庭石に時代性を読む[1. 不均質な石と鎌形石:2. 有馬層群の岩石:3. 京都の古庭園における石質構成の時系列:4. 花崗岩の飛石:5. 根府川石:6. 華やかな色彩の結晶片岩:7. 真紅の赤白硅石:8. 自由な感性表現の時代]
養源院の庭石が語る表現手法の展開[1. 石質構成の時代的特色:2. 石灰岩と脈石英による水の表現:3. 石英脈による水落ちのサイン:4. 白と赤との対比:5. 矢跡のある花崗岩:6. 露地からの発想:終りに―時代を創る感性]

3. 江戸幕府の庭園担当者
はじめに
江戸幕府の庭園担当職種[1. 幕府の庭園の担当者:2. 作庭とかかわる役職:3. まとめ]
「庭作り」について[1. 『武鑑』の記載:2. 庭作り役の時代的変動:3. 庭作り役の人びと:4. まとめ]
幕府直属の庭園の管理体制[1. 西の丸・三の丸の庭園管理:2. 吹上花畑の管理:3. 城内全体の庭園管理:4. 浜御殿の庭園管理:5. まとめ]
おわりに

4. シェーンブルン宮苑
[ハプスブルク家の造景遺産:シェーンブルンの沿革:宮殿と宮苑の計画となりたち:宮殿の概要:宮苑の軌跡と現状:シェーンブルン宮苑の位置づけ]

5. 物見遊山から公園へ
屋外の楽しみ
日本における「公園」の誕生
公園造成体験の場としての居留地
横浜公園の造成にみられる東西の技術接触
土着の公園・外来の公園

6. 東京緑地計画―成案の成立と実現―
はじめに
東京緑地計画の成立[1. 景園地の計画:2. 行楽道路の計画:3. 大公園の計画:4. 小公園の計画:5. 成案は1人当たり1坪の計画:6. 環状緑地帯の計画]
東京緑地計画の実現[1. 第一次大緑地計画(防空大緑地):2. 第二次緑地計画:3. 東京緑地計画協議会の組織がえ:4. 東京緑地計画の見直し:5. 第三次緑地計画]
あとがき

8. 文化遺産としての名勝
はじめに
『古都京都の文化財』の世界文化遺産登録
名勝の「美しさ」とは何か―その特色
「芸術美」としての名勝の特色
「自然美」としての名勝の特色
京都の文化遺産の特色
世界遺産としての文化遺産
ヨーロッパにおける名勝庭園
おわりに

編集後記