二十世紀における科学技術の目覚しい発展は、工業部門のみならず農業部門においても、生産力の向上に大きく貢献した。とりわけ、化学肥料や化学合成農薬の使用は作物の生産量や品質を飛躍的に向上させた。発展途上国のコメ、トウモロコシ、小麦のヘクタール当たり収量を例に見ても、1960年から2000年までの40年間の推移は着実に増加の一途を辿っている。高収量品種の開発、灌漑と並んで肥料と農薬の使用がこれには大きく貢献している。国連の中位推計によると、2025年には地球上の人口は80億人に達するといわれている。増加する人口を養う食糧の増産には、今後も化学合成農薬や化学肥料の使用は不可欠である。
化学合成農薬や化学肥料を使用する「農業の化学化」は、農業生産の拡大を実現する一方で、環境へのストレスを高める結果となった。レイチェル・カーソンは1962年に「沈黙の春」を著わし、化学合成農薬がもたらす生態系の破壊に警鐘を鳴らした。「農業の化学化」がもたらす環境汚染や健康への悪影響などに対する懸念が指摘されるようになるにつれて、化学合成農薬に依存した農業に対する社会の関心は高まるようになった。こうした社会の関心の高まりを背景に各種の対策が検討され、新しい試みも見られるようになった。減農薬農業あるいは総合的害虫管理(IPM)による農薬使用量の削減ないしは適正化、さらには、粗放的農業あるいは有機農業による農薬使用からの決別などはそうした一例である。化学合成農薬の使用においても、安全な使用基準への見直しや安全性の高い農薬の開発などによって、化学合成農薬の安全性は飛躍的に向上した。また近年においては、Bt作物、病害抵抗性作物など、遺伝子組換え技術による組換え農作物の研究、開発、導入も進んでいる。
1987年に「環境と開発に関する世界委員会」(ブルントラント委員会)は「われら共有の未来」と題する報告書を著わし、「持続可能な開発」という概念を提唱した。1992年にブラジルで開催された地球サミットでは、持続可能な開発に関する原則が採択され、またその実現のための具体的行動計画である「アジェンダ21」が採択された。そこでは持続可能な農業と農村開発の促進も取り上げられている。他方、EUにおいては1980年代から進めている農業政策への環境施策の取り込みによる農業環境政策の一層の強化を図るべく、地球サミットと時を同じくして、1992年に農業環境規則「環境と調和し、農村の自然的空間を守る農業生産のあり方に関する1992年6月30日付理事会規則第2078/92号」を制定し、農業政策と環境政策の一体化を推し進めるとともに、OECDは2002年に生態系の保全に配慮した農業に関する勧告を行なった。こうした持続的農業ないしは環境保全型農業を指向する国際的な動向の中で、わが国においても、たとえば、農薬の生態系影響や残留農薬問題などを考慮して化学合成農薬の登録保留基準を改定するなど、農業生態系の保全に向けた施策の強化がみられた。
農業生態系の保全の観点から、生物機能の農業的利用に対する期待が寄せられている。既に、被覆植物や植物体を利用したマルチングによる雑草の防除、混植栽培による不加給態栄養素の利用、緑肥による線虫の防除、天敵の導入など、化学合成農薬や化学肥料に代替するものとして、生物そのものを利用する方法が導入されている。他方、生物が産生する天然化学物質を農業に活用する試みはまだ緒についたばかりであるが、その成果への期待は大きく、それに応えるためには、天然化学物質を介した生物間相互作用のメカニズムを解明するための研究を推進し深化させる必要がある。また、生物が産生する天然生理活性物質と同等な構造であれば、化学合成物質であっても自然界に代謝・分解酵素系が存在するので不活性化し易いため、低残留性で環境安全性が高いと考えられる。このため、天然生理活性物質の化学構造や作用点など新しい情報を得ることによって、より安全で効果的な化学合成農薬をデザインすることも可能となる。
本書は、生物が産生する天然生理活性物質と生物間相互作用のメカニズムを解明する研究の先端的成果を取りまとめている。
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